真田幸村 最後の言葉〜辞世の句

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真田幸村 最後の言葉〜辞世の句「辞世の句」とは、人が死の間際に詠む漢詩・和歌・俳句などのことです。自分の人生を振り返り、この世に最後に残す言葉として、様々な教訓を私たちに与えてくれるといって良いでしょう。

古来より数えきれない辞世の句が残されてきましたが、今回は、真田幸村の最後の言葉として、真田幸村の辞世の句を紹介してみることにします。

真田幸村の最後

真田幸村(真田信繁)は、武田信玄・勝頼親子に仕えた真田幸隆の次男で、豊臣方の武将として大坂冬の陣・夏の陣での活躍し、悲運の英雄として多くの軍記物や講談などで後世に伝えられてきました。

真田幸村は豊臣秀吉の馬廻衆を経て、関ヶ原の戦いで西軍に組して改易されましたが、配流先の九度山から大坂城に入り、大坂冬の陣では有名な出城「真田丸」を造り敵の大軍を退け、武名を天下に轟かせました。

しかし、講和後に再び始まった大坂夏の陣では、少数の兵力にも関わらず徳川家康の本陣に突入するも、衆寡敵せず、最後は安居神社(現在の大阪市天王寺区)の境内で戦いに疲れて休んでいたところを討ち取られたと言われています。1615年6月3日、享年は48歳と言われています。

そんな真田幸村の辞世の句と言われているのが以下の言葉です。

真田幸村 辞世の句

「さだめなき浮世にて候へ者、一日先は知らざる事、我々事などは浮世にあるものとは、おぼしめし候まじく候」

現代文に訳すなら「明日のことはどうなるか分からない時代ですから、私のことはこの世にいないものと思ってください」といったところでしょうか。

これは、最後の戦いとなった大坂夏の陣が始まる前に真田幸村から真田家重臣の小山田茂誠へ送った手紙に書かれていた言葉です。

そして、この辞世の句より約2ヶ月半後、真田幸村はこの世を去ります。この世に残した最後の言葉は、最後の地となった安居神社で討ち取られる前に話した「儂の首を手柄にされよ」だったそうです。

この真田幸村の最後の言葉と辞世の句は、皆さんの心にどう響きましたか?

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