「辞世の句」とは、人が死の間際に詠む漢詩・和歌・俳句などのことです。自分の人生を振り返り、この世に最後に残す言葉として、様々な教訓を私たちに与えてくれるといって良いでしょう。
古来より数えきれない辞世の句が残されてきましたが、今回は、紀貫之の最後の言葉として、紀貫之の辞世の句を紹介してみることにします。
紀貫之の最後
紀貫之は、平安時代の貴族で「古今和歌集」の選者としても有名な歌人です。三十六歌仙の一人としても知られ、「古今和歌集」「新撰和歌集」を編纂し「土佐日記」を記すなど、当時の和歌界の第一人者として活躍しました。歌の力によって幸運がもたらさるという「歌徳説話」も生んだ紀貫之ですが、945年の6月30日に70代で亡くなっています。
そんな紀貫之の辞世の句と言われているのが以下の句です。
紀貫之 辞世の句
「手にむすぶ 水に宿れる 月影の あるかなきかの 世にこそありけれ」
この歌を現代文に訳すなら、
手にすくった水に映る月のように、あるのかないのかよくわからない世であった
といったところでしょうか。
この歌は、齢70を超えて最後を迎える時に感じるこの世のはかなさを写実的に描いており、日本を代表する歌仙としてさすがの一首だと思います。
死を前にした時、彼の頭の中を去来したのはなんだったのでしょう。この紀貫之の最後の言葉である辞世の句は、皆さんの心にどう響きましたか?