親鸞 最後の言葉〜辞世の句

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親鸞 最後の言葉〜辞世の句「辞世の句」とは、人が死の間際に詠む漢詩・和歌・俳句などのことです。自分の人生を振り返り、この世に最後に残す言葉として、様々な教訓を私たちに与えてくれるといって良いでしょう。

古来より数えきれない辞世の句が残されてきましたが、今回は、親鸞の最後の言葉として、親鸞の辞世の句を紹介してみることにします。

親鸞の最後

親鸞は、鎌倉時代に生きた高僧です。9歳で出家した後、比叡山で長年修行を積んだ親鸞は、浄土宗の開祖 法然に師事しましたが、既存の仏教団による弾圧を受け、後鳥羽上皇により、法然・親鸞ともに流罪に処されてしまいます。越後国(現在の新潟県)で5年間の配流生活を過ごして赦免された後に、東国での布教を経て京に戻り、1263年1月16日に89歳で亡くなりました。そして没後、親鸞の教えは浄土真宗として受け継がれていくことになります。

そんな親鸞の辞世の句と言われているのが以下の句(短歌)です。

親鸞 辞世の句

「我なくも 法は尽きまじ 和歌の浦 あをくさ人の あらん限りは」

この歌を現代文に訳すなら、

私が死んでも、生きとし生けるものが存在する限り仏法は永遠に尽きない。

といったところでしょうか。

死を前にした時、彼の頭の中を去来したのはなんだったのでしょう。この親鸞の最後の言葉である辞世の句は、皆さんの心にどう響きましたか?

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