そして4月12日、米国のルーズベルト前大統領が死去した旨の報道に接した鈴木貫太郎は、短波放送で哀悼の意を示します。同じころ、同様に敗北寸前だったナチス・ヒトラーはルーズベルトを罵ったこともあり、それと対照的な鈴木貫太郎の行動は各国で賞賛されました。
そしてその後、戦争は終結へと向かいます。7月27日にポツダム宣言の発表、8月6日の広島への原爆投下、9日の長崎への原爆投下、そして15日にようやく終戦となります。鈴木貫太郎は終戦までのこの間、休むことなく終戦工作のために精力を尽くしていました。
そうして迎えた8月15日、昭和天皇による終戦の詔勅が放送されたことを受け、この日の内に鈴木貫太郎は内閣を総辞職させることとなります。後に元海軍大将であった山梨勝之進は、終戦を迎えることができたのは鈴木貫太郎の貫禄があってこそだと彼を称賛し、歴史始まって以来の第一人者だと語っています。
以上が、鈴木貫太郎の様々な功績と歩んできた道になります。
彼に対してのエピソードは他にもあり、不死身の男と称されているのもその一つです。二度にわたる暗殺未遂だけでなく、幼少期から何度も命の危険に晒される場面がありました。暴走する馬に蹴られてしまったり、釣りの途中で川に落ちた他、暗い夜の航海中に海へ落ちることもありました。このようにして何度も命を失いそうになったものの、しかしその度に助けられ、奇跡的に生還することができています。
このように鈴木貫太郎は、多くの功績とエピソードを抱えた偉人の一人と言えるでしょう。