「辞世の句」とは、人が死の間際に詠む漢詩・和歌・俳句などのことです。自分の人生を振り返り、この世に最後に残す言葉として、様々な教訓を私たちに与えてくれるといって良いでしょう。
古来より数えきれない辞世の句が残されてきましたが、今回は、東条英機の最後の言葉として、東条英機の辞世の句を紹介してみることにします。
東条英機の最後
東条英機は陸軍軍人であり、太平洋戦争開戦時の首相として知られています。アメリカとの衝突を避けようとした中、開戦強硬派の陸軍幹部を抑えることができる人物として東条英機が首相に選ばれ、東条英機自身も戦争回避への努力を続けていましたが、アメリカ側の強硬姿勢を変えられず、1941年12月8日にアメリカ・イギリスに対して宣戦布告、太平洋戦争に突入していくことになります。
その後、序盤は有利に進んだ戦局も次第に悪化し、重要拠点であったサイパン島を失陥して本土空襲が視野に入ってきた1944年7月18日、責任を取る形で内閣を総辞職し、そのまま敗戦を迎えました。
そして、敗戦後の1945年9月11日、東条英機は米軍による逮捕を前に拳銃自殺を図ったものの、アメリカ軍のMPによって救命され、主要戦犯容疑者の一人として東京裁判に出廷することになります。東京裁判では、自己保身に走らず国家と天皇の擁護に徹した東条英機は死刑判決を受けることになり、1948年12月23日、巣鴨拘置所で死刑に処せられました。享年64歳でした。
そんな東条英機の辞世の句と言われているのが以下の句(短歌)です。
東条英機 辞世の句
「我ゆくも またこの土地に かへり来ん 國に酬ゆる ことの足らねば」
この歌を現代文に訳すなら、
私はあの世に行くが、また再びこの土地に戻ってこよう。この国への恩返しが足りていないから
といったところでしょうか。
戦犯容疑者として拘置所に収容されて以降、東条英機は浄土真宗に深く帰依し、戦争により多くの人が犠牲になったことに対して深く懺悔したそうです。
死を前にした時、彼の頭の中を去来したのはなんだったのでしょう。この東条英機の最後の言葉である辞世の句は、皆さんの心にどう響きましたか?