吉川経家 最後の言葉〜辞世の句

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吉川経家 最後の言葉〜辞世の句「辞世の句」とは、人が死の間際に詠む漢詩・和歌・俳句などのことです。自分の人生を振り返り、この世に最後に残す言葉として、様々な教訓を私たちに与えてくれるといって良いでしょう。

古来より数えきれない辞世の句が残されてきましたが、今回は、吉川経家の最後の言葉として、吉川経家の辞世の句を紹介してみることにします。

吉川経家の最後

吉川経家は、毛利家の家臣で、毛利氏の石見国(現在の島根県西部)支配を支えた武将の一人ですが、羽柴秀吉の中国征伐を鳥取城で迎え撃ちましたが、餓死者が多数出るほどの壮絶な籠城戦の後、1581年11月21日に城兵の命と引き換えに切腹しました。享年は34歳前後と言われています。

そんな吉川経家の辞世の句と言われているのが以下の句(短歌)です。

吉川経家 辞世の句

「武夫の 取り伝へたる 梓弓 かへるやもとの 栖なるらん」

この歌を現代文に訳すなら、

私の家に伝わる梓弓(神事などで使われる弓)は、私が死ねば次の世代の者が受け継いで行ってくれることだろう。

といったところでしょうか。

死を前にした時、彼の頭の中を去来したのはなんだったのでしょう。この吉川経家の最後の言葉である辞世の句は、皆さんの心にどう響きましたか?

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