平櫛田中|偉人列伝

平櫛田中|偉人列伝

平櫛田中のエピソード

日本の彫刻家の巨匠、平櫛田中は明治・大正・昭和という3つの時代を生きた人です。その素晴らしい作品の数々は現代においても高い評価を受け続けるものであり、日本を代表する彫刻賞には、彼の名が冠されています。

平櫛田中は、明治5年に岡山県に生を受け、明治15年には広島県へと移住しています。そして、明治26年には、大阪の中谷省古の弟子となり、木彫の修行をはじめました。その後岡倉天心に師事するなど、芸術の道を進み続けて、昭和33年には大作「鏡獅子」を生み出しています。

平櫛田中のエピソードはいくつも伝えられており、今もその人柄を知ることができます。107歳に天寿を全うするまで、休むことなく情熱的に彫刻と向き合ったその姿は、多くの人に感銘を与えたのでしょう。

たとえば、平櫛田中は100歳を超えてもなお、常に大量の材木を蓄え、創作に備えていたそうです。いつでもすぐに制作を始められるよう、金銭があれば材木を購入しており、蓄え続けてきたのだそうです。

また、彼が100歳になった際には、祝賀会が開かれたそうですが、その時のあいさつも、彼の人柄が伝わる話として、残っています。

その時のスピーチで平櫛田中は、「あまり私を訪ねてこないように」と話したそうです。まだまだ勉強をしたり、創作をしたりと忙しい日々を送っているため、頻繁に来訪者があると、仕事をする時間がなくなってしまう、という話でした。もちろん、本気でそう要望したというわけではなく、ユーモアのあるあいさつだったのでしょう。しかし、ただの冗談というわけではなく、実際に平櫛田中は101歳のときにも、五十鈴老母という、新しい作品を発表しています。

平櫛田中が師事した岡倉天心は、明治を代表する思想家であると同時に、日本美術院を創立した人でもあります。彼が亡くなった後、平櫛田中は天心像を制作していますが、そのうちの一つは東京美術学校から依頼を受けたものです。その後、平櫛田中は東京美術学校の教授となるのですが、この時、毎朝天心像の前で最敬礼をしていた、と伝えられています。平櫛田中にとって、岡倉天心は非常に大きな存在であり、尊敬すべき師だったのでしょう。毎朝必ず最敬礼をするというエピソードは、彼の真っ直ぐさと、その尊敬の深さを感じさせます。

平櫛田中のエピソードがさらに・・・

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