「辞世の句」とは、人が死の間際に詠む漢詩・和歌・俳句などのことです。自分の人生を振り返り、この世に最後に残す言葉として、様々な教訓を私たちに与えてくれるといって良いでしょう。
古来より数えきれない辞世の句が残されてきましたが、今回は、河井継之助の最後の言葉として、河井継之助の辞世の句を紹介してみることにします。
河井継之助の最後
河井継之助は、江戸時代末期の長岡藩(現在の新潟県)の家臣です。各地への遊学を経て、群奉行として藩政改革・軍制改革に着手し、短期間で成果を上げました。ほぼ時を同じくして始まった戊辰戦争では、長岡藩の中心人物として旧幕府軍と新政府軍のどちらにもつかない中立を志向しましたが、新政府軍との会談で決裂し、北越戦争が勃発してしまいます。
河合継之助は、ガトリング砲など最新式の武器を駆使し、兵力に勝る新政府軍と互角の戦いをしますが、戦いの中で重傷を負ってしまいます。その後、河合継之助は、新政府軍に長岡城を奪われ、会津へと落ち延びることになりますが、戦いで受けた傷から破傷風を発症し、現在の福島県只見町付近で亡くなります。享年41歳。
そんな河井継之助の辞世の句と言われているのが以下の句です。
河井継之助 辞世の句
「八十里 腰抜け武士の 越す峠」
この歌を現代文に訳すなら、
越後から落ち延び、この八十里峠を越えるとは、なんという腰抜け武士よ。
といったところでしょうか。
越後長岡から会津に落ち延びる時に、自らを自嘲する句だと言われています。
死を前にした時、彼の頭の中を去来したのはなんだったのでしょう。この河井継之助の最後の言葉である辞世の句は、皆さんの心にどう響きましたか?