就活落ちた日本死ね~社会に責任を押し付ける風潮

起業 雑感コラム

就活落ちた日本死ね~社会に責任を押し付ける風潮今年も街中でリクルートスーツを着た就活生を見る季節になりました。自分も就活で苦戦したことを思い出します。
そんな折、「就活落ちた日本死ね」という匿名ブログ が話題になっているようです。

そういえば、「保育園に落ちた日本死ね」という匿名ブログが話題になったこともありましたが、個人的にかなり違和感のあるフレーズですので、何でも「日本死ね」という社会に責任を押し付ける風潮について、経営者としての視点から少し触れてみたいと思います。

ここで一旦、話を就活に戻しましょう。

数多くの会社が毎年毎年、継続して新卒採用を行っている為、ある程度の規模の会社であれば新卒採用は当たり前と思われるかもしれません。しかし、解雇権が強く制限される日本においては、一旦採用すると雇用する会社側から解雇することが非常に難しく、社員を採用するということは、大会社においても実はかなりリスキーなことです。特に新卒採用は “未経験者” を “成長を予測して” “長期” に雇用するわけで、どの会社も、まさに “社運を掛けて” 採用活動をしているのです。

会社としては、限られた採用予定人数の中で、より良い人材を確保したいと考えます。誤解のないよう予め触れておきますが、「良い人材」とは “社畜” になってくれる人ではありません。一言で言うなら、“仲間” として共に会社を良くしていってくれる可能性を持っている人です。

会社は順風満帆の時ばかりではありません。むしろ、何らかの失敗やトラブルを抱えている時がほとんどです。

そんな時、自分には非がなく「相手が悪い」「環境が悪い」と思っていたら、また同じようなことで失敗をするわけです。よく「何で自分ばかり同じようなトラブルが起きるのか?」と言う人がいます。そういう人の仕事の仕方を見ていると、思考回路は自己中心的なことが多く、「相手が悪い」「環境が悪い」ということにトラブルの原因を見つけているような気がします。

「自分のやり方は非がなく正しい」ところをスタートラインにして考えていると、失敗やトラブルの本質を見失ってしまいます。自分自身を見つめ、「相手や周囲の環境に応じて、失敗やトラブルが起こさない為にはどうすればいいのか?」を自分で考え、日々改善をしていく素養のある人を“仲間”として選びたいというのは至極当然です。

自分自身を見つめると言っても、「就活に落ちたのは全て自分が悪い」と自分を責め苛む必要はないのですが、もし、本気で自分が就活に落ちたのが日本の社会に問題があり「就活落ちた日本死ね」と思っていたとしたら、その人を就活で落とした企業の採用基準は至って正常 だったということでしょう。

前述した通り、企業が社員を採用することはリスキーです。そして、新卒採用はもっとリスキーです。
さらに、採用に応募してくる学生は大なり小なり「自分を良く見せよう」と本来の自分を隠したり、話を盛ったりします。
採用する側としては、限られた情報の中から“仲間” になってもらいたい人を見極めていく訳ですが、「上手くいかなかったのは周りが悪い」といった思考回路からスタートする人と「自分がこうすればもっと上手くいったのではないか?」といった思考回路の人を比べれば、当然、後者の人材に “仲間” になって欲しいと思います。

「日本死ね」に代表されるように、何でもかんでも「社会や環境に問題がある」的な発想は、愚痴って言っているならわかります。嫌なことは吐き出してまた前に進めばいい。もし、問題提起として言っているのであれば “評論家的” 過ぎるでしょう。もっと自分のレベルでできることはないのかを考えて欲しいと思います。

失敗やトラブルが起こった時、社会や環境が悪いことを恨んだり、憎んだりする人を積極的に“仲間” にしたい人や会社はありません。
世の中に原因を求めて不平不満を募らせるのではなく、自らを見つめて自分自身の可能性を高める人が増えていって欲しいと切に思います。

何でもそうですが、人として深化していく為には「自分に対して厳しい目を持てる」ストイックさが非常に重要だと思う今日この頃です。

 

政治的思想が強い人も・・・

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