杞憂(きゆう)
古来より、人は自らの教訓を言葉で残し、古人の知恵や経験を「故事成語・ことわざ」として現代に伝えてきました。
その中から、時を超えて、人生に様々な示唆を与えてくれる「故事成語・ことわざ」を独断と偏見で選んでみました。きっとビジネスだけでなく、人生においても参考になるでしょう。
今回選んだのは、
杞憂(きゆう)
という中国の古書「列子」に出てくる寓話が出典の故事成語です。
「杞憂(きゆう)」とは
「杞憂(きゆう)」とは、
「取り越し苦労で、あれこれと無用の心配をすること」を指します。
ちなみに出典となった「列子」の一節を見てみると、
杞の国に、人の天地の崩墜して、身寄する所亡きを憂え、寝食を廃する者有り。
又彼の憂うる所を憂うる者有り。
因って往きて之を暁して曰く、天は積気のみ、処として気亡きは亡し。屈伸呼吸の若きは、終日天中に在りて行止す。
奈何ぞ崩墜を憂えんやと。
其の人曰く、天果たして積気ならば、日月星宿は当に墜つべからざるかと。
之を暁す者曰く、日月星宿もまた積気中の光耀有る者なり。
只墜ちしむるも、また中り傷る所有る能わじと。
其の人曰く、地の壊るるを奈何せんと。
暁す者曰く、地は積塊のみ。
四虚に充塞し、処として塊亡きは亡し。
躇歩跐蹈するが若きは、終日地上に在りて行止す。
奈何ぞ其の壊るるを憂えんと。
其の人舎然として大いに喜び、之を暁す者もまた舎然(せきぜん)として大いに喜ぶ。
又彼の憂うる所を憂うる者有り。
因って往きて之を暁して曰く、天は積気のみ、処として気亡きは亡し。屈伸呼吸の若きは、終日天中に在りて行止す。
奈何ぞ崩墜を憂えんやと。
其の人曰く、天果たして積気ならば、日月星宿は当に墜つべからざるかと。
之を暁す者曰く、日月星宿もまた積気中の光耀有る者なり。
只墜ちしむるも、また中り傷る所有る能わじと。
其の人曰く、地の壊るるを奈何せんと。
暁す者曰く、地は積塊のみ。
四虚に充塞し、処として塊亡きは亡し。
躇歩跐蹈するが若きは、終日地上に在りて行止す。
奈何ぞ其の壊るるを憂えんと。
其の人舎然として大いに喜び、之を暁す者もまた舎然(せきぜん)として大いに喜ぶ。
となりますが、現代文に訳すなら、
杞の国に、天地が崩壊したならば身の寄せ所がなくなってしまうと心配で夜の目も見ず、飯ものどを通らなかった人がいました。
一方、その人の様子を心配する人がいました。そこで出かけていって、その人に「天は空気が積もっただけで、空気のない所なんてないよ。体の屈伸だって天の中でやっているわけで、どうして天が崩れ落ちるなんて心配するの?」と話しました。
一方、その人の様子を心配する人がいました。そこで出かけていって、その人に「天は空気が積もっただけで、空気のない所なんてないよ。体の屈伸だって天の中でやっているわけで、どうして天が崩れ落ちるなんて心配するの?」と話しました。
そうするとその人が「天が本当に空気の積もったものなら日月宿星なんて、落ちてきそうだが」と聞いてきたので「日月宿星というものも積もった空気の中を輝いているもので、落ちてきたにしても当たって怪我することはないよ」と答えました。
さらに、その人は「どうして大地は壊れないのか?」と聞いてきたので「大地は土の塊が積もっていて、それが四方に満ちて土のない所なんかないよ。いつも地上で飛び跳ねても問題ないだろう。なぜ大地が壊れるのを心配するのかね?」と答えました。
それを聞いたその人は不安が解消してたいそう喜び、言いきかせた方の人も気が晴れて喜んだそうです。
といった感じになります。
物事について考えることは大切なことですが、考え過ぎて「杞憂」にならないよう、まずやってみることも大切です。特にビジネスにおいては、まずはやってみることが大切ではないでしょうか。