西郷従道は、1892年には、当時の最高権力とも言える元老として枢密顧問官に任命されました。その後も海軍大将や元帥など数々の重職を歴任しており、何度も政府から内閣総理大臣になってくれるよう求められています。しかし、西郷従道は、自分の兄が西南戦争を起こし逆賊として汚名を受けていることを理由に決して首を縦に振らず、自分の意志を貫き通したと言われています。
西郷従道は、1902年に胃癌のため東京都内の自宅で穏やかに亡くなり、激動の時代に辣腕を振るった印象的な生涯を閉じたのでした。
一見すると政府の要職を歴任した切れ者というイメージの強い西郷従道ですが、彼にまつわる意外なエピソードはいくつも伝えられています。
例えば、とある政府の会議の場で、参加していた政治家が言うまでもなく分かりきった内容の話を延々続けて議論が煮詰まってしまった際、その政治家が椅子に座ろうとしたタイミングで従道が椅子をサッと引いたために尻餅をついてしまい、参加者が皆大笑いして和やかな雰囲気に戻ったという話があります。それ以上議論を続けるような空気でもなくなってしまったため、延々議論していた政治家も苦笑いしながら引き下がり、会議が無事に終了できたのです。
また、相手の話をじっくり聞くあまり、なるほどという口癖ばかり使うようになったために成程大臣というあだ名が付けられていた話も有名です。他にも、西郷従道の顔は兄である西郷隆盛と面影がそっくりだったため、隆盛の肖像画を作成する際には従道の顔写真が参考に使われたという話や、栃木県にある西郷神社の神様として祀られている話など、厳格なイメージとは違ってほのぼのする話もたくさん伝えられています。
このように、兄と違ってあまり歴史の表舞台に名が挙がる人物ではない西郷従道ですが、その生涯を振り返ってみると日本の政治において非常に重要な働きを残していると言えるでしょう。