宇喜多秀家 最後の言葉〜辞世の句

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宇喜多秀家 最後の言葉〜辞世の句「辞世の句」とは、人が死の間際に詠む漢詩・和歌・俳句などのことです。自分の人生を振り返り、この世に最後に残す言葉として、様々な教訓を私たちに与えてくれるといって良いでしょう。

古来より数えきれない辞世の句が残されてきましたが、今回は、宇喜多秀家の最後の言葉として、宇喜多秀家の辞世の句を紹介してみることにします。

宇喜多秀家の最後

宇喜多秀家は、豊臣秀吉に仕え、岡山城主として57万4千石を有した大名です。豊臣秀吉の死後、天下分け目の戦いとなった「関ヶ原の戦い」において副将格として激戦を繰り広げましたが、敗れて八丈島に流罪となり、その地で1655年12月17日に亡くなりました。享年83歳。

そんな宇喜多秀家の辞世の句と言われているのが以下の句(短歌)です。

宇喜多秀家 辞世の句

「み菩薩の 種を植えけん この寺へ みどりの松の 一あらぬ限りは」

この歌を現代文に訳すなら、

悟りを開くきっかけになったこの寺に、この松は存在し続けてくれるのでしょうか

といったところでしょうか。

死を前にした時、彼の頭の中を去来したのはなんだったのでしょう。この宇喜多秀家の最後の言葉である辞世の句は、皆さんの心にどう響きましたか?

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