源義経 最後の言葉〜辞世の句

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源義経 最後の言葉〜辞世の句「辞世の句」とは、人が死の間際に詠む漢詩・和歌・俳句などのことです。自分の人生を振り返り、この世に最後に残す言葉として、様々な教訓を私たちに与えてくれるといって良いでしょう。

古来より数えきれない辞世の句が残されてきましたが、今回は、源義経の最後の言葉として源義経の辞世の句を紹介してみることにします。

源義経の最後

源義経は、鎌倉幕府を開いた源氏の棟梁 源頼朝の弟で、牛若丸の幼名でも知られている武将です。奥州の藤原秀衡の庇護を受けた後、平氏との戦いに参戦し、一ノ谷、屋島、壇ノ浦の戦いで活躍したものの、平氏滅亡後は兄頼朝と対立することになります。孤立無援の中、再び奥州藤原氏の庇護を受けましたが、1189年6月15日、頼朝に通じた藤原泰衡に攻められて自害しました。享年は30歳前後であったと言われています。

そんな源義経の辞世の句と言われているのが以下の句です。

源義経 辞世の句

「後の世も また後の世も めぐりあへ 染む紫の 雲の上まで」

この短歌は、武蔵坊弁慶からの「六道の 道のちまたに 待てよ君 遅れ先立つ 習いありとも」という歌への返歌とされています。現代文に訳すなら、「弁慶、後世もそのまた後世もめぐり逢おう。あの紫色に染まった雲の上まで一緒に行こうぞ。」といったところでしょうか。

兄頼朝との涙の対面からわずか五年足らずで、敵味方に分かれて戦うことになり、朝敵として最後の時を迎えた義経ですが、判官贔屓という言葉もあるように、悲運の名将として後世の人たちの記憶に残り続けています。

源義経が死を前にした時、彼の頭の中を去来したのはなんだったのでしょう。この源義経の最後の言葉である辞世の句は、皆さんの心にどう響きましたか?

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