足利義輝 最後の言葉〜辞世の句

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足利義輝 最後の言葉〜辞世の句「辞世の句」とは、人が死の間際に詠む漢詩・和歌・俳句などのことです。自分の人生を振り返り、この世に最後に残す言葉として、様々な教訓を私たちに与えてくれるといって良いでしょう。

古来より数えきれない辞世の句が残されてきましたが、今回は、足利義輝の最後の言葉として足利義輝の辞世の句を紹介してみることにします。

足利義輝の最後

足利義輝は、室町幕府の第13代将軍です。剣聖と呼ばれる塚原卜伝の直弟子とされ、武術に優れた将軍であったと言われています。畿内で勢力の伸ばした三好氏との勢力争いに破れ、1565年6月17日、松永久通らの大軍に攻められて討ち死にしました。享年29歳。

そんな足利義輝の辞世の句と言われているのが以下の句です。

足利義輝 辞世の句

「五月雨は 露か涙か 不如帰 我が名をあげよ 雲の上まで」

現代文に訳すなら、「この五月雨は霧なのだろうか、それとも私の涙なのだろうか。ホトトギスよ、雲の上まで我が名を広めるのだ。」といったところでしょうか。

足利義輝は、幕府の権威復活を目指しましたが、管領の細川晴元、細川氏の家臣であった三好長慶、さらに三好氏の家臣であった松永久秀らに阻まれることになりました。足利義輝の死から8年後、第15代将軍足利義昭が織田信長に京都から追放され、室町幕府は終焉を迎えます。

足利義輝が死を前にした時、彼の頭の中を去来したのはなんだったのでしょう。この足利義輝の最後の言葉である辞世の句は、皆さんの心にどう響きましたか?

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